テクトニックカルチャー/ ケネス・フランプトン 1990年12月24日、パリ、リヨン駅(Gare de Lyon) を15時6分に発車するTGVに乗った。日本から持参したカリカリ梅を食べていたら、それを見ていた小さな女の子が「小さいリンゴ(pommepetite)」と広いてほしそうな顔をした。でもあげて食べたら絶対泣きそうな気がしたのであげなかった。地中海を臨む港町、マルセイユ(Marseille)に着いたのはクリスマス・イヴの夜だった。マルセイユ・サン・シャルル駅(Gare de Marseille Saint-Charles)は丘の上にある。広い階段を下りて、ゆるい下り坂になっているアテーヌ通り(Boulvard d'Athenes)を歩き、右側に広がるベルザンス(Belsunce)地区に入る最初の路地、ドミニケンヌ通り(Rue des Dominicaines)で、ホテル・マッシリア(HotelMassilia)を見つけた。アラブ人が経営するツインで1泊70 フラン(1750円)の安宿。ベッドのスプリングはぐわんとへこむしアラブ式の共同トイレは詰まっていたけど、オヤジは親切そうだし値段もまずまず。あっさりと宿が決まった。マルセイユで何日か過ごして、ライ (Ral) が育まれた街、アルジェリアのオラン(Oran)に行こうと、とりあえずそれだけ決めていた。